来日して7年、看護師になりました
2016年3月25日、皆様のおかげで看護師国家試験に合格しました。
発表時間になると、当然のごとく厚生労働省のHPにアクセスが集中します。何回もアクセスして、やっと自分の受験番号があるページにたどり着いたとき、携帯電話を操作する指が震えました。でも、ちゃんとありました。すぐに今までお世話になった方々に合格を伝えました。
生きていくため、毎日を全力で過ごそう
年月は早いもので、脱北してからの日々はあっという間に過ぎていきました。故郷を出るときは、いつかまた帰ってくる日はあるかなどを考えたものです。
来日後は日本という国に慣れるため、生きていくため全力で過ごしました。生計を立てるためにアルバイトしながら、一つでも吸収したくて、時間を見つけては上司や同僚に何でも聞きました。時に嫌な顔をされたり笑われたりしましたが、悔しがる余裕すらありませんでした。
北朝鮮では苦労知らずの温室育ちで、それなりに恵まれた環境で生活を送っていました。しかし、自由を求めて脱北を決めた時は、これからは「weed(雑草)」のように生きようと決めました。知らない地に根を張って強く生きなければならないと思ったからです。
涙あり笑いあり!入学した看護専門学校の3年間は想像を絶する大変さ
このような思いでひたすら前を見ながら走ってきて、気づいたら夜間中学校を卒業し、高等学校卒業程度認定試験を合格後、看護専門学校にいました。
看護専門学校の3年間は想像を絶する大変さで、世の中にはたくさんの職業がある中で、なぜこの道を選んでしまったのか後悔した時も多くありました。
特に大変だったのは実習です。朝から夕方まで病院で実習をし、家に帰ってから看護記録を書きます。しかし、その記録の量が膨大でなかなか終わらず、寝られない日々が続いたことで、挫けそうになったことがたくさんありました。
その過程で患者様に何度も助けられました。入院というのは環境が変わり身体的にも精神的にも大変な状況であります。その中でも、患者様は学生のため受け持ちを快く承諾してくれました。そして、慣れない手つきで食事や排泄、車いす移動などの援助を行うと「ありがとう」と言ってくださいました。辛いとき患者様に幾度となく救われ、私は必ず看護師になろうと心から誓いました。
看護専門学校の3年間は涙あり笑いあり、自分と向き合い葛藤する毎日でした。そういった日々があったからこそ私は無事に看護師になることが出来たと思います。
今は自分に与えられた使命を全うしたい
今は希望していた病院に就職も決まり手術室に配属されました。以前、糖尿病認定看護師に憧れた時期もありましたが、自分に与えられた使命を全うすることに尽力したいと考えています。
一般病棟と違い患者様と過ごす時間は少ないですが、手術は人生における一大事であり、不安も大きいものです。そのため、オペナースは限られた時間内に患者様に寄り添い、不安の軽減に努める必要があります。また医師のアシスタントとして、器械出しや外回りをしながら手術に必要なサポートをする役割を果たします。 仕事を始めたばかりで不安なこともありますが、命に携わる仕事に就いたという自覚を忘れず、看護師として一人前になれるように、精進していきたいです。