2019年の中国全国一斉の大学選抜試験で、元脱北者の青年H君が好成績を収めた。この成績だと北京大学、清華大学、交通大学などの一流大学の合格圏だといわれている。H君はうれしさ半分、悩み半分で志望校を決めるのに1か月間悩んだという。
というのも、合格圏内と言われても、どの大学を第一志望校にするかが問題なのだ。入学定員枠にどれだけの志望者が応募するか、上から成績順に入学者を決定する仕組みなので定員枠から外れれば希望校に入学できない。
第1志望校の合格圏の点数であっても、入学定員からもれたならば、第二志望校に入学できるとは限らない。第二志望を第一志望校にしていた受験者が優先的に入学許可されるからだ。一流校と言われる大学の場合、合格点が僅差でひしめいているから、第二志望で入学が決まらないと一般大学に回らざるを得ない。
結局、H君は高校の先生とも相談して、やはり一流大学にランクされるS大学に入学が決まった。授業が中国語なので、朝鮮族の彼は1年間の中国語の授業を受ける必要があるのかないのか、入学までに中国語のレベルの実力が審査される。中国語の授業が1年間必要になると判定されれば、大学生活は5年間となる。
いずれにしても彼は新しい人生のスタート台に立てることになった。彼は自分の出自が脱北孤児であることを明らかにしていない。出自が問題で入学が取り消されることはないと思いつつも、どんな障害ができるかわからないと警戒している。
3歳で母親と豆満江を渡り、母は強制送還に
彼が中国に来たのは2000年、北朝鮮に大量の餓死、飢餓が発生し混乱し大量の脱北者が中国に流れ込んでいた時である。当時H君も3歳で母親と一緒に国境の川・豆満江を渡ってキリスト教会の伝道師に保護された。
1990年代の後半から2000年代前半は、北朝鮮は旱魃、洪水などで食糧生産に大打撃を受け200万人とも300万人とも言われる餓死者が出た頃の話。労働党党員は60万人が餓死した悲惨な状況だった。
しかし中国政府は「彼らは不法入国者、不法滞在者」であるとの公式見解を内外に明らかにし、強制送還を繰り返した。国際世論は中国政府の姿勢を人権条約違反として繰り返し厳しく批判していた。強制送還された脱北者は、厳罰に処されて収容所送り、公開処刑されていた。
2003年に飢えた母子の保護をした時、強制送還を逃れるために村の障害者や生活能力のない男性との結婚を進めていたが、摘発を進めていた中国公安は、母親を強制送還した。H君は母親を慕い、毎晩泣きながら成長することになった。高校に入学するまで、強制送還された母親は行方不明のままである。
H君の卒業時には出自が問題になる時代は過ぎ、母子再会が実現して欲しいものだ。
注:当基金は、吉林省延辺朝鮮族自治州で北朝鮮を脱出してきた難民の保護活動をしていた。彼らには食料の供給、衣類、防寒具などを配給し、医療支援もしていたが、脱北者の孤児たちの群れや、飢えた母子の収容・養育も行っていた。(編集部)