この記録は、北朝鮮人権侵害啓発週間にあたって、東京の文京区民センターで行われた講演会の音源を採録したものです。
北朝鮮地下教会に関する資料文献は、韓国の北朝鮮人権データベースセンターの金仁星研究員の協力を得ました。(編集部)
本名で語れば北に残った家族が迫害受ける
今日は。日本に来られて嬉しくて涙がでます。私たちが、北朝鮮でどのように暮らしていたのか、
北朝鮮の人であればよく知っていると思います。私は韓国に来て生活するために、まず名前を変えました。新しい名前は安淑輝(アン・スクフィ)です。
なぜならば、北朝鮮に残った家族がまだ迫害を受けており、私は間違って本名で表に出て真実を語れば、私たちの家族がみな深刻な影響を受けます。
それでも、私が、皆さんの前に立つ決意をしたのは、北朝鮮に「地下教会はない」と話されているのにお答えしたいからです。
私は昔からキリスト教の家庭で育ち、暮らしていました。神様を一生懸命信じて生きていた家庭でした。子供の時から食事をするときには、一応目を閉じ、頭を垂れて祈りをしてご飯を食べました。その時は、これが祈りかどうかは、分からなかったのです。
神様を信仰する特別な家族
聖書に書いてあるように生きる
小学校から高校まで、北朝鮮で学ぶ過程で私の家庭は、他の家族と違って、神様を信仰する特別な家族だということが、だんだん分かってきます。それとともに心の中ではその信仰を守らなければならないという考えを持ち始めました。 率直に言って、神様を信じれば、快適に暮らして、金持ちになれることはありません。常に農業に精を出して、ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシを食べながらも、他所の人や友人に分け、配るのです。私はキリスト教の家庭で、「隣人を自分の体のように愛する」ことを身につけました。おこげも友人に分け与えました。成長するにしたがって大変な空腹の日々を経験しました。
神様を信じる者として、高校を卒業してから、聖書に書いてあるように生きるため、病気を治療する者になるべきだと決意をしました。薬科大学、医科大学4年、軍事大学で2年間勉強をしました。その当時、義兄が朝鮮労働党の法律出版社の局長をしていました。その関係ですべての金日成、金正日関連の出版物は、義理の兄を介して見聞きすることができました。
その頃から、教会に通っていた叔母の友人を介して、その家の子供たちを集めて、一度祈祷会をしたことがありました。大人になっても、大学の卒業生だからと言って、どこに行っても神様を信じていると、誰にでも話すことはできません。
しかし自分たちの祖父母や叔母などの親しい人々が亡くなると話す機会が訪れます。キリスト教がエルサレムから韓国に伸びてきて、世界の多くの国でも、神を信じて北朝鮮にもカトリック教が伝わった。それだけでなく、仏教も北朝鮮にあり、仏教を信じる人もいるのですと、私の知識を話しました。
地下キリスト教会について話をします
秘密の地下キリスト教会と信仰を守る
私たちの間には、山の中に尊い、大切にしている場所がありました。神を信じる者は、常に祈りをしました。 10人ほどの少人数で集まって、祖父、祖母、叔母たちが私たち兄弟、姉妹を育てました。
10年のキリスト教地下教会生活を説明するには、多くの言葉や文章を費やしても表現できません。晩年に『地下教会とともに歩んできた道』というタイトルの本を出版をしようと思っています。
北朝鮮に地下教会がない、と嘘を話す人がいます。北朝鮮の事情も良く分からない人が、どうして嘘を平気で語ることができるのか理解できません。私は地下教会についての証をたくさんしました。私が神を信じているのに、なぜ私が間違っていると言うのですか。私は北朝鮮で秘密の地下キリスト教会とともに信仰を守ってきた人です。その真実を公開したいです。地下教会とどのように関係してきたのか、今日話をさせていただきます。
具体的に申し上げますと、10年間の監獄生活は言葉にはならないほど苛酷でつらい経験す。地下教会の疑問、不思議について本を出す前に、具体的に話をするために、今日この席に立たせていただきました。私は最初、韓国がどこに存在しているか、右も左も分からなかったです。脱北して、韓国で教会に通い、神学大学で勉強もしました。現在は北朝鮮出身の伝道師として働いています。
北朝鮮では、医師としての職務を得て働く
一人で30kgも50kgもの薬草を採取して持ってきたこともありました。1回で3ヶ月分の量に達したこともあります。そうした経験を通じて地下家庭教会に集う10人と会うことになりました。知らない人には、「神様を信じれば、天国に行けます」という話はしません。その話をすれば、必ず捕まるので何も言わなかった。それで、神様を信じる人たちと患者の治療に集中したのです。
患者が薬草摘みに行って、人民保安署(警察]や人民安全保衛部に採取した薬草を持って報告に行きます。薬草を摘み取って、平壌で患者を治療するのに使います、と報告をすると非常に嬉しがっていました。北朝鮮では平壌から来た場合、大統領が来るよりも嬉しがります。患者を治療しながら見ると、可哀想な患者がとても多かったです。
除隊軍人を助ける地下キリスト家庭教会10人の協力
北朝鮮では、軍隊に行けば17歳に行って、10年後に戻ってくる。女性も行かなければならない。軍隊を除隊したら、結婚をしなければならないのに、女性が子供を産んで戻って来ることもあります。このような状況なので除隊軍人たちは、大学に行きたくても行けなくて、暮らしが難しい。山に登って燃料用に木を伐採し、お金を得なければならない境遇に置かれることもあります。除隊して家に戻ったら、両親はすでに体力がなく、自分の足や腕を切る負傷や、ひどい痛みに置かれて、苦しんでいることもあります。そうした自分の境遇に腹が立てながら暮らしている貧しい除隊軍人がたくさんいるのです。
神様を信じている地下家庭教会の10人が、貧しい除隊軍人を助ける決意をして、除隊軍人らを呼び集めました。彼らは一日に丼ぶり半分の麺を買う金も稼げない、と言っていた。彼らに薬草を探す代わりに、1kg当たり5千ウォンずつ保証することにしたのです。市場では、500ウォン、1000ウォン程しか得られないのです。除隊軍人たちは、約束通りに正当に金を稼ぎ、私たちとの間で信義を築いてきました。今では、麺数丼ぶり分を稼げるようになったのです。労働者の月給は2000ウォンでしたが、必要なものを除外すると、数百ウォンしか残らないのですから、彼らは良い稼ぎ場を得たことになります。
除隊軍人5人は、よく仕事をしました。男性は、高い山に登って、1泊2日もしくは2泊3日の薬草を摘み取り、夜には獣がこないように火を焚いた。高い山では、どのような話をしても構わないだろうという気がしていました。その機会を利用して、神様の言葉を伝えたのです。皆が集まったとき、聖書(ローマ18章など)の言葉を伝えました。主説教は、「私が与える力が少しでもあるときは、全部を人のため使いなさい。隣人を愛し、理由なしにけんかをしてはいけない。すべてを神様にゆだねなさい」などでした。
これらの除隊軍人たちは山に一度登れば、米もおかずも買えました。北朝鮮の人々の特徴は、誰でも豊かになると、なぜそのように豊かになれたのか関心を持つのです。周りの人が聞いたら、平壌から来た人の願いで薬草を摘み取ったら、お金を稼ぐことができたと説明します。その話を聞くとすぐに薬草採りの希望者が20人に増えます。その人たちと一緒に薬の種類ごとに薬草を掘り始めると米を買って食べることができたのです。
セメントの床で7人が布団を覆って、寝ている患者がいました。これらの患者のために地下教会の人々が、布団とカーペットと石鹸を買って与えました。患者たちは、この地に住んでいていかなければならないという事情を理解し、患者を生かそうと努力しました。そして皆が、一人の患者も死なせずに助けると誓いあったのです。
この地下教会で10人の患者の治療に集中しました。3年目には、地域別に咸鏡南道花臺,新浦など、あちこちで多くの人々を養い、生きていけるようにしました。そして皆が、神様のために生きるようになりました。数年後に人々が私を知り始めたのです。人々は、この人についていけば食べることが出来ることを理解しました。そして必要な物を買うことができるという話をしていました。北朝鮮では、食べて生きることが一番重要だからです。
地下教会の信者が120人にふえる
正日の賛美の歌詞を変えて讃美歌に
安州に行った時は、薬草を摘み取るのが困難な状況も多く経験した。多くの人々の病気が治り始めるようなったら、私を博士と呼ぶ人も現れました。 各地方ごとに5人、7人ずつとグループが出来、120人の地下教会の信者に増えました。トウモロコシの種まきをするとき、人々を集めて宣教をしたが、賛美歌がなくて、金正日賛美の歌詞を変え、金正日を神に入れ賛えて讃美歌を歌ったりしました。
小児麻痺を治して保安署に捕まる
10年の実刑判決を受ける、大部分を价川教化所で過ごす
87年金正日の方針が発表されましたが、これは、市場で商売する人をなくせ(闇市場=農民市場)ということでした。价川に19歳の青年がいて、病気を治してほしいという頼みがあった。私は神さまに祈りをしてお告げをしました。神様に任せますのでぜひ直してください。祈りを始めて3カ月10日で耳から血が出て小児麻痺がよくなって、耳が聞こえ始めたのです。人々がどのようにして治ったのか疑問に思い始め、最終的には、調査まで受けたが、小児麻痺患者の父が神様に治してくださいという言葉を聞いたと述べたのです。それで私は保安署につかまり、厳しい調査を受け、10年の実刑を宣告されました。1年6ヶ月を拘置所で、残りの8年4カ月は价川教化所に収容されたのです。
金日成が死んで、人々が飢え死にし始めた。一部の人々は、あまりにもお腹がすいて犬を食べたと思っていましたが、実際は自分の娘だった人もいるほどだした。私は胸が痛く大泣きしました。言葉で表せない話がたくさんあります。私はこのような話を本に編んで出したいです。北朝鮮の地下教会の信者がいるとか、そうではないのか、そのような話はむやみに言わないでほしい。私は生き証人だからです。
私は妊娠中で、拘置所で出産をしました。白紙の取り調べ調書に拇印を押させられことが、最終的に明らかになったので銃殺は免れたのです。
价川教化所には靴などを生産する施設がありました。出産から1ヶ月ぶりに重い荷物を持ち上げて、倒れて怪我をしたこともありました。 10年の間にあった痛みを、少ない限られた時間に皆様に伝えるのは難しいことです。
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