チキンレースが止まらない
文 田平啓剛
所の囚人のみならず、今や鴨緑江、豆満江全 世界最貧国のひとつ「北朝鮮」が、世界最富裕国の「米国」に挑戦状を突きつけている。
「北極星」「火星」と称する SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)やICBM(大陸間弾道ミサイル)試射や核実験によって。前者は金一族の栄華をのみ追求し、後者は米国第一主義、白人至上主義を体現しようとして平然としている。
近年の目覚ましい核・ミサイル関連技術の進展により、金正恩労働党委員長は、米国を脅迫する現実的な手段を獲得し、対す るトランプ大統領はその世界最強の軍事力行使の可能性をチラつかせる。同盟国韓国と日本も共同軍事演習や共同訓練でこれに呼応する。朝鮮戦争の休戦以来、最悪となっている 中朝関係も「石油禁輸」という「北」の息の根を止める事態には立ち至ってはおらず、同盟関係も依然健在ではある。中朝間の隙間風に乗じて、プーチン大統領のロシアも老獪な策動を始めた。21世紀の世界、そして東ア ジアは今、間違いなく未曽有の危機にある。
戦争勃発の悪夢
最近のマスメディアが連日報道しているのは、第二次朝鮮戦争の勃発の懼れである。仮に米軍「北」の核・ミサイル関連施設対象の限定空爆に踏み切った場合、北緯38度線 北側に密集配備され「北」のロケット砲や 長距離在来砲が一斉に火を噴く。1千万人のソウル市民、或いは2千5百万人のソウル首 都圏の人々に甚大な被害が及ぶことが当然に 想定される。加えて、既に実戦配備を終えているとされるスカッド、ノドン、ムスダン、 テポドン等の短距離から中距離に至る各種ミ サイル数千発が韓国全域を襲い、更に在日米 軍基地、日本の大都市にさえも襲い掛かる。 核弾頭の装填となれば、同族の韓国ではなく、 民族の怨念が籠る日本こそが、その標的と れる、との説がまことしやかに語られている。
究極の人権は人命
物々しい核・ミサイル報道の陰で、地味な 人権・人道の訴えは掻き消されがちであるが、 究極の人権は人命であり、生きていればこそ 将来への希望に繋がる。悪名高い政治犯収容所の囚人のみならず、今や鴨緑江、豆満江全体に張り巡らさせてつつある高圧電流配電の鉄条網で、 国民全体が囚 われ人と化している 「北」。
一般民衆においては、どうか物質的・精神 的困難の耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、 戦争勃発前夜の今を生き抜いて欲しい。万一、 64年ぶりに朝鮮半島で戦端が開かれたとしても、そのおぞましい生き地獄の中で、何とか命を繋いで戴きたい。
究極の人権である人命の尊重。これは勿論、「北」の虐げられた一般庶民の生命に限られない。普通に幸せに暮らしている韓国国民、日本国民、在韓・在日の米国国民、更にはと んでもないとばっちりを蒙るかもしれない中 国国民やロシア国民の生命も同じである。 これらの生命を最大限に尊重し、安全を確保するためには、戦争の勃発を何としても避けなければならない。不幸にして、それがどう しても回避できない場合には、その損害を最少限に喰い止めなければならない。
人類の叡知への信頼
我が国は72年前、「平和を愛する諸国民の 公正と信義に信頼して、われらの安全と生存 を保持しようと決意した」。・・人類の叡知の発現である国際連合、世界平和の維持に直接 の責任を負う安全保障理事会。戦争を放棄し、 戦力を保持しないとし、交戦権を否認した我々としては、この国連安保理に全幅の信頼 を寄せ、できる限りの活用を図るしかないのではないか?
例え、それが如何にも不完全で、一部覇権国家の跳梁を許す仕組みであったとしても。
少なくとも、その枠内で、我々としての最大限の知恵を働かせ、能う限りの努力を尽くすことによって。